\新シリーズ!第1回南海沿線探訪―浜寺公園駅/
今回から、新しく南海電鉄の沿線駅周辺を紹介する、南海沿線探訪をはじめます!
記念すべき第1回は、辰野金吾が設計した旧駅舎がシンボルの浜寺公園駅です!
浜寺公園駅は1897年に浜寺駅として開業し、1907年に浜寺公園駅と改称すると同時に、旧駅舎が建てられました。
当時、浜寺一帯は、古くは万葉集に詠まれた高師浜とともに白砂青松の海岸として名が高く、鉄道唱歌でも唄われています。
そのような背景のもと、浜寺公園駅は名勝地・海水浴場・別荘地の玄関口としてにぎわいを見せていたそうです。
浜寺公園駅旧駅舎は、東京駅の設計で有名な辰野金吾設計の木造駅舎で、国の登録有形文化財にもなっています。2000年には、明治時代に建築された数少ない洋風駅舎として、第1回近畿の駅百選にも選ばれました。現在は駅舎としての役割は終え、ギャラリーなどとして活用されています。
浜寺公園駅旧駅舎から浜寺公園へと続く道の左手には、松露だんごで有名な福栄堂があります。明治40年の創業時から愛され続ける松露だんごは、浜寺公園の松の下にできるきのこをイメージして作られ、「大阪産(もん)名品」や「堺市優良観光みやげ品」にも選ばれている逸品です。浜寺公園にお越しの際は、試してみてはいかがでしょうか。
チンチン電車(阪堺電車)の終点である、浜寺駅前停留場から紀州街道をわたると浜寺公園です。
浜寺公園にはたくさんの短歌にまつわる逸話があります。
先述のとおり、万葉の時代からたくさんの短歌に詠まれてきた浜寺一帯でもっとも有名な短歌は、百人一首にも収録されている祐子内親王家紀伊の歌でしょう。
音に聞く 高師の浜の あだ波は かけじや袖の 濡れもこそすれ
そして、明治6年にはこの歌を大久保利通が本歌取りします。
音に聞く 高師の浜の はま松も 世のあだ波は のがれざりけり
惜松碑として歌碑が残るこの歌が詠まれた当時、浜寺の松は伐採の危機を迎えていました。大久保利通は、浜寺の景勝が失われることを惜しみこの歌を詠み、それをきっかけに伐採計画は中止され、日本最古の公立公園として、浜寺公園は誕生したのです。
その景勝は堺の偉人、与謝野晶子にも深く影響します。
和菓子屋の文学好きな娘だった与謝野晶子は、浜寺公園内にあった旅館で開催された歌会で与謝野鉄幹と出会い、禁断の恋に落ちます。そして、晶子は翌年、鉄幹を追い、東京へと旅立っていくのです。この期間に詠まれた晶子から鉄幹への恋慕の歌を集めたのが、与謝野晶子のデビュー作である『みだれ髪』であり、その後晶子は女流歌人としてのキャリアをスタートしていくのでした。
この経緯から、浜寺公園に与謝野晶子の歌碑もあります。
西にそのまま進むと運河に突き当たります。
この運河は、浜寺水路といい、大阪府立漕艇センターのコースにもなっており、漕艇の練習光景を見ることができます。
また、ボートの往来の中、ボラをはじめとした魚が跳ねる光景は、平和で心が癒されます。
浜寺公園駅は、万葉の昔から現在へと続く、文化と憩いの空間が広がっていました。
〈福栄堂〉
場所:大阪府堺市西区浜寺公園町2丁14
(南海本線「浜寺公園」駅西出口すぐ)
営業時間:午前9時~午後6時
定休日:毎週木曜日(祝日は営業)
TEL:072-261-1677
HP:
http://www.dan-go.com/index.html〈浜寺公園〉
場所:堺市西区浜寺公園町
(南海本線「浜寺公園」駅西出口すぐ)
HP:
https://hamadera.osaka-park.or.jp/
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